運転
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免許再取得
埼玉県の端、なかなかの田舎育ちだったので、免許は必要になるだろうということで私は車の免許を18歳でとった。やや複雑なのだが東京で高校に通い下宿していたので、自動車学校自体は調布市で通った。確か、高校も卒業間近の早春だったと思う。自転車でせっせと自動車学校に通い、2,3ヶ月かけて免許をとった。自動車学校の隣にはガストがあり、授業の間が空く時はたまにそこに行っていた。学科は一発で受かったが、運転技能は落ちて受け直した。その後、悪名高き交通の便の悪さである埼玉・鴻巣(こうのす)の免許センターにて最後の学科試験を受け、パスした(実家からも東京の下宿先からも2時間かかって本当にうんざりだった)。試験の直前には鴻巣駅前にあるウルトラなんとかという予習センターにも行き、2度と鴻巣の免許センターに早朝から来たくないという思いで受けたので、受かった時のほっとした気持ちはなんともいえないものだった。 ところがその後、引き続き東京で大学に通い、その後ニューヨークで大学院に行った私は車の運転をする機会には全く恵まれず、ペーパードライバーのまま7年ほど過ごした。だがその後ミシガンに移ることとなり、車の運転は必須になるだろうということになった。日本で免許は持っているから大丈夫だろうと軽く考えていたが、そんなのは甘い考えで、免許を取るまでにはだいぶ苦労した。私の問題はいつも技能試験なのである。学科で苦労したことはほとんどないが、おそらく空間把握能力が著しく低いのだろう。バック駐車や縦列駐車の難しさが日米で変わることはなく、アメリカでも何回か教習に通い、そしてその果てに落ちた。教習所のおじさんに励まされながら、慣れないアメリカ田舎暮らしの中でベソをかいたのは懐かしい思い出である。やっとの思いで免許をとってからも一度事故を起こしたが、しばらくすると慣れてきて、大体どこでも車で行けるようになった。 ミシガン暮らしはしばらくして終わり、日本に戻った。故郷で何回か運転したがアメリカでの運転にすっかり慣れたせいで右側通行か左側通行か混乱してしまい、またスピードの感覚もだいぶ違うので、日本の運転に慣れるのは難しかった。おまけにちゃんと日本での運転に慣れる前に東京で仕事をすることになり、そうすると運転は必要なくなり、またペーパードライバーになった。 2023年になり、またもやミシガンに引っ越すことになった。何度も行き来しておかしな人生だが、私は要領良く生きるということができない人種なんだと思う。運命を受け入れて、国際免許を取得して戻ることにした。ビザが切れると同時にアメリカでの免許も失効になってしまっていたからだ。ところが秩父警察署に行って国際免許を発行してもらおうとしたら、なんと二週間以上かかるという。出国に間に合わないではないか。鴻巣に行けば即日発行だというので、また鴻巣に行くことになった。本当に憎たらしい。いろんな人に「鴻巣は一度だけの辛抱だから」と言われてきたのだが、私は最初の更新も鴻巣に行かなければ行けなかったし、それ以降も国外居住者の前倒し免許更新で鴻巣に来ているし、合わせれば4、5回鴻巣の免許センターに行っている。鴻巣駅から15分もバスに乗ったところにあるこの古い免許センターは、周りに献血バスあれど建物内にWi-fiはない。一度埼玉県警の要望欄に書いて出したが、むげもなく断られた。そもそもここに出向かなければ国際免許が即日発行されないことも含め、全てに時代遅れの絶望が感じられるし、免許センターの内部も照明が暗く、どんよりとした諦めのようなものが漂っていると言わざるを得ない。唯一の良い点としては、国際免許は15分ほどであっという間に発行されたという点だ。即日発行と言ったのは嘘ではなかった。しかも、担当スタッフの女性は私も持っているユニクロのシャツを着ていた。親近感を覚え、微笑ましい気持ちになった。ただそれ以外、鴻巣の免許センターにいいところはない。 埼玉県民にしか面白くないと思われる鴻巣への呪詛が続いてしまった。話を戻そう。ミシガンに戻ると、私は思った以上に運転ができなくなっていた。何もかもが怖いのである。これまで全くできなかったことを上達させるのも大変だが、一度できたことができなくなっているという情けなさもなかなかのものだ。スーパー1つ行けず、過去にスイスイと運転していた自分が憎い。しばらく時間をかけて学科試験の勉強に取り組んだ。一度受かったんだし運転してたんだから大丈夫かと思いきや、全てを忘れていたからである。 ミシガンの運転免許試験は2段階に分かれる。学科試験と、実技試験だ。学科試験は近所の州オフィスに行き、申請すれば受けられる。オフィスはいくつもあり、鴻巣のようなストレスがないのは実にありがたいことである。問題は選択式で、わからない問題はスキップして後回しにできる。全部で50問あって、40問当たればパスだ。家でネットで練習問題を解き、受けに行った。アメリカでオフィスに行くのが久々でややテンパっていたので、身長と体重を聞かれた時にフィートやパウンドというアメリカ独特の計測方法がはたとわからなくなり、170センチ40キロという嘘すぎる情報を言ってしまったので、身長は計り直しとなった。その後視力検査などを済ませ、オフィスの古すぎるパソコンで試験に臨み、問題をスキップしまくって受かった。学科試験に受けると仮免がもらえる。隣に免許を持っている人がいれば運転しても良いという免許だ。仮免許を取得してから一ヶ月後から半年の間に本試験に受かれば、晴れて運転免許が取得できる。 学科試験に受かったのは嬉しかったが、技能試験があるので心は晴れなかった。私は密かに一つ目標を立てた。これまで日本でもアメリカでも、技能試験には一度も一発合格したことがない。3度目の免許試験になる今回こそ、一発で受かりたい。3度目の免許試験を一発合格と呼んでいいのかはわからないが、とにかく早く受かりたい。 しばらく練習しているうちに、運転自体の勘はだいぶ戻ってきた。高速道路も含め、運転は大丈夫だろう。問題はバック駐車と縦列駐車である。私は空間把握能力が低いので、車体のお尻がいまどこにあるかとか、車体が真っ直ぐであるかとか、そういうことを把握する力が弱い。器用な人はそういうことがわからないので、一度か二度練習すれば、できるものだと思っている。違うのだ。体に叩き込むまで練習をしない限り、駐車ができない人間もいる。私はピアノを練習するかごとく、毎日バック駐車と縦列駐車の練習を繰り返しやることにした。毎日仕事から帰ってきた瞬間、駐車練習に付き合わされた夫は疲れ切って最後の方はビールを飲みながら私の練習を見ていた。繰り返し練習へのこだわりが若干偏執的なのは自分でも気づいていたが、音楽をずっと続けてきた身とすれば当然の練習方法であり、これしか思いつかなかったので、続けた。そしてそうするうちに、私はやっとバック駐車と縦列駐車の本質のようなものを理解することができた。全ては車体が今どこの位置にあり、どれくらいハンドルを回せばどこに動くのかということを予測するということなのだ。駐車場の線内という空間のどこに車体という物体を動かしどう配置するか、それが駐車の本質なのである。自分の体は今線の外にあろうと、見るべきはすでに駐車の線の中に入った車体のお尻の部分なのである。これは文章にすると当然なのだが、体感するまでには随分と時間がかかった。最終的には自分の身体が大きくなって車体になったと考えれば少し納得がいくようになった。 そうしている内についに試験の日がやってきた。朝から非常に緊張していたがアパートメントの駐車場で最後の駐車練習をしていると、近所のおばあさんに突然挨拶され、いらなくなったであろうニット帽とサビ取りスプレーをもらったので、吉兆と捉えることにした。実技試験は近所の自動車学校のようなところで行う。私の試験官はイカつい4WDに乗った若いお兄さんだった。まずはバック駐車と縦列駐車の試験だ。立ててある三角コーンをできるだけ倒さないように駐車できれば成功である。以前試験を受けた時は派手に何本もコーンを倒し、落ちた思い出があるのだが、今回は偏執的な練習の成果が表れ、ギリギリで一本もコーンを倒さずに済んだ。この時点で私は内心では非常に自分のことを誇りに思っていたのだが、お兄さんは「当然です」というような顔でニコリともせず、続けて路上運転の試験に行くことになった。この時、18歳以上の受験者は試験中に同乗者を乗せてはいけないので、夫は寒空の下に放り出され、15分待つという拷問を受けることになった。1番近くのコーヒーショップは歩いて10分くらいかかるので、15分という時間はなんとも半端だったのである。路上試験では住宅地の中や、STOPサインで止まれるかどうかなどを審査されているのを感じた。運転しながらサラサラと何かを書いている音が聞こえたので緊張した。途中私があまりにノロノロと運転するので、もう少しスピードを出すようにも促された。高速道路も行くものだと思っていたが、一般道をぐるぐると一周した後、車は元の場所に戻った。駐車するとお兄さんは初めてニコリと笑い、「You passed. Good job.」と言ってくれた。私は心の中で快哉を叫んでいたが、おとなしく微笑み返し、お礼を言った。その後簡単に手続き方法をお兄さんは説明し、次の受験者の元へ向かっていった。夫は寒空の下立ち尽くしていたら、早めに訪れた次の受験者に試験官だと間違われたらしい。寒い寒いと言いながら車に乗り込み、私が受かったと聞くと、ついに駐車練習に付き合う必要がなくなったと喜んだ。 その日の夜はお寿司を食べた。お寿司をレストランまでピックアップしに行く最中、金曜の夕方の道は大混雑しており、交差点はポリスに溢れ「ベトナムのラッシュ」という動画を思い出させる有様だった。日本とは比べ物にはならないが、久々のお寿司は美味しく、私はついに免許に一発合格したことを非常に嬉しく思い、久々にブログを書くことを決意したのだった。 おしまい。
