ベートーヴェンのピアノソナタを聴こう!Op. 10-1編

ベートーヴェンのピアノソナタ Op. 2は3曲セットで出版され、Op. 7は単独で出版された。そして再び3曲セットのOp. 10である。自分のことを振り返ってみたら、Op. 2を全曲弾いたことはないが、Op. 10は全曲弾いたことがある!というのもOp. 10はコンクールの課題曲や入試で使われることが多く、ピアノを習う人は避けて通れない道なのかもしれない。ベートーヴェンのピアノソナタに最初に挑戦する時、《悲愴》が人気ではあるが、この5番や6番、また1番もぜひ候補に入れてみてほしい。題名ついてなくてもいい曲いっぱいありまっせ。

5番 Op. 10-1はハ短調。交響曲第5番《運命》やピアノソナタ第8番《悲愴》もハ短調で書かれており、さらにこの曲は出版されたベートーヴェンのピアノソナタ初の3楽章形式だ。もしかしたら、大規模な作品をいくつか書いたことである程度納得して、次の段階に進みたくなったのかもしれない。

この作品は旧ソビエトのピアニスト、マリヤ・ユーディナ(表記がいっぱいあるのですが、ここではこちらに統一します)で聴いてみよう。彼女はユニークな逸話をたくさん残した、伝説的なピアニストである。

「猫は言葉にできないくらい素晴らしいもの。ショスタコーヴィッチのフーガはそうでもない」と手紙に書いたくらい猫好きだったそうな。
ピアニストマリヤ・ユーディナ(1899~1970)。ソビエトに生きたピアニスト。スターリンのお気に入りでもあった。
ベートーヴェン ピアノソナタ 第5番 Op. 10-11798年出版。ハ短調。

確信に満ちた演奏、というのが聴いた感想だった。自分が何をやっているか、どういう音楽を作りたいか、初めから最後まで冷静に把握しているように思う。1楽章のクリーンでストレートな音楽の進め方と、どことなく冷たく感じられるようなスタッカート音の切りぎわまで含めて強い意思が感じられて、孤独を怖がらず受容するような音楽であるように思う。

2楽章は、このゆっくりなテンポの音楽を有機的に成立させていることに感心させられるばかり。遅い曲を弾くのって難しいのである。ベートーヴェンはゆっくりな曲の中に細かい右手の音符を入れ込むことが多く、緩徐楽章のテンポ選択は結構そこに左右されてしまうのだが、そうするとかなーり遅いテンポを選択せざるを得なくなり、音が少ないところになると音楽を成立させる難易度が上がる。それを易々と乗り越えてるのは、やはり匠の技。音もとても綺麗なんだけど、夢見るようなキラキラ系の音を安易に使わないところが素敵。

3楽章もわりとそっけないようなストレートな始まり方をするんだけど、対位法的な要素の入れ方が上手い。長調に転調していくところとかも、ややテンポをコントロールして強調する部分もあれど、基本的に真っ直ぐに進んでこのまま終わるか?と思うと、一気にリタルダンドがかかって伏線が回収され、ちょっと《テンペスト》の出だしみたいなレチタティーボが入る。ここが不気味で秀逸!曲全体の印象を一気にダークにして終わる。非常に効果的。

ユーディナはショスタコーヴィッチやソフロニツキーと同学年だった。反体制的な言動によって音楽院の教職を何度も追われたが、投獄されることはなかった。それどころかスターリンのお気に入りで、この独裁者はユーディナの録音をよく聴いていたという。

ショスタコーヴィッチがユーディナについて残しているエピソードが面白い。

「ある日、ユーディナは私に『自分はとても惨めな小さい部屋に住んでいて、仕事も休息もできない』と言った。私たちはさまざまなところに掛け合い、助力を得、困難を乗り越えて彼女のために快適なアパートメントを借りた。その後、程なくして彼女は私のところにやってきて、部屋を借りる助けをしてくれないかと尋ねてきた。『なんだって?もうあなたのために部屋を借りたじゃないか。なぜもう一つ部屋が必要なんだ?』と聞くと、彼女は『あの部屋は可哀想な貧しい老婦人にあげた』と言った」

まだある。

「ある日、ユーディナが私の友達に『部屋の窓が壊れていて寒くてたまらない。生きていけない』とこぼした。彼らはもちろん彼女にお金を渡した−−その時は冬だったのだ。少し後に彼らがユーディナを訪ねると、窓には相変わらずぼろ布が貼ってあるだけで、外と同じくらい寒かった。『なぜこんなことになるの?窓を直すお金をあげたでしょう』と彼らが聞くと、ユーディナは『あのお金は教会に渡した』と言った」

二つのエピソードから、このピアニストのキャラクターが伝わってくる。さまざまなことに頓着せず、強く、自らの正義に頑迷なまでに従う人間。ピアニストとしてだけでなく、人として魅せられる。

スターリンが好んだという、ユーディナのモーツァルトもとってもいいですよ。

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