ベートーヴェンのピアノソナタを聴こう!Op. 2-3編

最も出だしが難しいベートーヴェンのピアノソナタの一つ(私調べ)。3度って難しいのにそれが出だしに来ると心理的負担が結構ある。3番はハ長調。個人的にはベートーヴェンにはハ長調とハ短調がよく似合うと思う。ハ長調は地に足がついて素朴でパワフルなイメージがある。ちょっとピアノコンチェルトのような一面もある華やかなこのソナタをギレリスの演奏で聞いてみた。

ピアニストエミール・ギレリス(1916-1985)。ウクライナ系のピアニストで、主にソビエトで活動した。ベートーヴェンのピアノソナタを27曲録音したところで亡くなってしまった。
ベートーヴェン ピアノソナタ 第1番 Op. 2-31796年出版。ハ長調。

ギレリスはどんな曲も上手いけど、ベートーヴェンはもちろんロシアものはやっぱり格別だし、規模が大きい曲を圧倒的な力量で聴かせてくれるピアニストだと思う。このベートーヴェンの3番も大きなスケール感で聴かせてくれて良い。シュナーベルとは全然違う良さがある。ちなみに2番を聴いて以来シュナーベルの楽譜にハマったのだが、彼は3番の出だしも指使いを事細かに書いてくれていた。

うまく言えないのだけど、この右の指使いの細かさから「現場の人」であるということがすごく伝わってくるような気がする。

さて、ベートーヴェンはこのOp. 2の3曲のソナタをハイドンに捧げている。若きベートーヴェンはハイドンに作曲を習っており、記念すべき初出版のピアノソナタを彼に献呈した。しかし彼らの関係はそれほど良くなく、「ハイドンから学んだことは何もなかった」などとベートーヴェンは書いて残しているものの、実際に彼の作品を見るとハイドンの影響は明らかだ、というのが定説だ。ハイドンも小さなモチーフを展開していくのが巧みな作曲家であったし、また、この曲の3楽章でも採用されているスケルツォをソナタ形式に最初に取り込んだのはハイドンだ。ハイドンとベートーヴェンの音楽から共通して感じられるユーモアも重要だ。ベートーヴェンはシリアスなイメージが強い作曲家だが、音楽の中に人を驚かせて笑うような箇所もあるし、ふざけた会話のようなところも見逃せない。モーツァルトの「ふふっ」とさせるようなユーモアとも違う。この3番も人をびっくりさせるような転調があったり予測できない休符があったりするので面白い。

ギレリスの演奏は輝かしい。そして「わかってる」感がすごい。この曲の魅力の一つにコロコロとムードが変わっていくことが挙げられると思うのだが、ギレリスの引き出しの多さに圧倒される。チャーミングさ、勇壮さ、優しさ、ユーモア、そしてコンチェルトのソリストのような王様感。いろいろなピアニストがいるが、この「圧倒的!王!」的《北斗の拳》ラオウみたいな迫力を醸し出せる人は限られている。ギレリスは数少ない、そういうピアニストだ。あとはダイナミクスの幅も見事だ。昔、「ピアニストにはある一定の強弱の幅が出せることが必要だ。もし体が小さくて強い音が出ないなら弱音を突き詰めなくてはいけない。弱音を美しく出せるテクニックがないなら、武器になる強い音がなくてはならない。」と言われたことがあるけれど、ギレリスの音量幅はその元々の幅の広さとコントロールの効き方が凄まじい。2楽章のフォルテッシモの重さとピアノの対比など白眉だ。ベートーヴェンが仕掛けてくるいろいろな展開に対して「おお、こういうことか」と観衆を納得させるような演奏をする。万能だ。

それにしても、最初からこれだけの規模を備えた曲を書いていたのだから、ベートーヴェンが新しいピアノに対して貪欲だったのは良くわかる。Op. 2のソナタの時点で曲に対してピアノの性能が追いついていないように感じる。ギレリスの演奏など聴くとまるで高級車がアウトバーンを走っている如くで、さらにそう思うのかもしれない。だけど、当時のピアノで聴くとなんとも言えない味があって魅力的だから、「それもまたおかし」などと思ったりする。

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