猫を飼う話

2024年の始めから猫を飼っている。念願かなっての猫だ。10年くらい、常々猫と暮らしたいと思っていた。特にコロナ禍に入ってからはSNSで猫の日常をアップしてくれるアカウントを複数フォローし、擬似的に猫を飼っている気分を味わおうとしていた。

2023年の夏にアメリカに戻ってきて、秋くらいからは保護猫ちゃんのサイトを見るのが習慣になってしまった。毎日更新されていくサイトを見ては、いつか猫を飼う日が来るのかなと夢見る日々である。アメリカは保護犬や猫を引き取ることをすごく盛んにやる。ペットショップの生体販売はないし、ブリーダーさんからペットを買うこともあるけど引き取りが推奨されている感じだ。

だんだん寒くなってきても自分の就労ビザ手続きがなかなか進まず、覚悟していたことではあったけれど、時間を持て余すようになってしまった。ピアノは練習していたけど、仕事をしてはいけないので本番がセットできない。生徒さんもとれない。そのための営業もできない。ビザの手続き自体は順調に進んでいて、しかもある程度時間がかかるのは当たり前なのだが、これまで社会とつながったり人と知り合ったりするために自分はいかに学校や仕事頼りだったのか、ということを思い知らされた。

猫が必要だと思った。私の日常にもう少し予定を入れる必要がある。それに、もし自分がまた「72時間働けますか」みたいな状態に戻ったら、子猫を育てるなんて絶対にできないだろうと思った。幸いなことに夫は生物学をやっているだけあって(?)動物が大好きで、猫を飼うことはむしろ私より前のめりである。今しかない。

いくつか引き取り先候補を探して、近所に保護猫の譲渡を行っている猫カフェを見つけた。シェルターに突然行って引き取るよりも、まずは気楽に猫カフェに行くくらいの方がいいかもしれない。猫を飼いたいとは思うものの、まだ少々腰が引けていたので、猫カフェで猫と触れ合ってみることにした。アレルギーがあるかどうかも確認したかった。猫カフェは混んでいて、予約するのは意外と楽じゃなかった。多分猫のために受け入れ人数をかなり制限しているのだろう。いくつかアンケートがあって、その中に「Adoption(譲渡)に興味がありますか?」と言う質問があったので、「Yes」と書いた。

当日は年末で寒い日だったが、猫ちゃんたちに会えると思うと嬉しくて、張り切って向かった。入り口で名前を言うと、スタッフさんが

「保護猫譲渡に興味があるってアンケートに答えてましたね。」

と話しかけてくれた。そうです、と答えると

「今、譲渡可能な子は2匹しかいないんです。それでもいいですか?」と聞かれた。

はっきりとその日猫を引き取ろうと思っていたわけではなかったし、いいです、と答えて中に入った。スタッフさんが譲渡可能な子達の元へ案内してくれる。6ヶ月の兄弟猫ちゃんたちで、その時はお昼寝していた。とてもかわいい。撫でるとふにゃふにゃ反応する。「初めて飼うなら6ヶ月くらいの子達がちょうどいいですよ。子猫は大変です」と言われて、なるほど確かに、と思った。ただ問題が一つあった。それはこの兄弟猫ちゃんはペアでしか引き取れないということだ。二人(匹?)の絆が大変強いため、引き離すことはできないらしい。それなら二人は絶対に一緒にいてほしい。一人になるのは不安なものだ。

だが猫初心者の我々に2匹の猫を育てることなどできるのだろうか?それにお金の心配もあった。日常的にご飯やトイレを提供することはできたとしても、ペットは医療費が多くかかることもあるというし、何より私たちは今後まだいろいろなところに ―― というかもしかしたら日本や別の国に―― 引っ越す可能性だってある。そしたらそこへ猫が移動するお金もかかるだろう。猫がアメリカから日本へ行くお金を考えたことはなかったが、安くはなさそうな気がするし、検疫のためのペーパーワークなどの準備も大変そうだ。2匹になったら当然それは二倍になる。ちょっと自信がなかった。しばらく猫ちゃんたちと遊んでいたらスタッフに「どうですか?」と聞かれたので、素直にその気持ちを打ち明けると「それは仕方ない」と理解してくれて、「子猫はまたたくさん来るから大丈夫」と言ってくれた。そこで我々はその2匹の部屋から出て、もう譲渡が決まっている猫たちのゾーンで猫ちゃんとの触れ合いを楽しむことにした。走り回ったり寝たり、非常にかわいい。かわいいかわいい。どの子もかわいくて胸がいっぱいになる。その時、カフェの電話が鳴ってスタッフがとった。

「え?子猫?4匹?これから?はい、分かりました」

みたいな会話をしている。その電話を切ると、スタッフがこちらに来て

「あと1時間くらいで子猫がここに来るけど、待つ?どうする?」と教えてくれた。

なんだか運命のような気がする。返事ははい、しかない。しばらく待っていると、キャリーがいくつか運ばれてきて奥に持っていかれた。どうやらその中に子猫たちが入っているらしい。スタッフたちがチェックをしに向かうのでしばらく待っていた。一人のスタッフが戻ってきて

「見たら可愛すぎて死んじゃうかも。4匹とも黒猫で、毛が短い子とちょっと長い子がいる」と教えてくれた。

黒猫!それは予測していなかった。なんとなく自分が飼う猫はしま模様な気がしていたのだ。でも、かわいいのは間違いない。楽しみである。待っていると子猫たちが落ち着いたらしく、部屋に呼ばれた。

子猫たちはすでに部屋を探索していた。4匹のうち1匹はとても活発で、すでに大部屋の方に駆け出して行ったらしい。ついぞ姿を見ることはなかった。残りの3匹のうち1匹もすぐに部屋を出ていき、我々のもとには2匹の子猫が残された。短毛の子とちょっと毛が長めの子だ。二人とも健気に部屋を歩いている。新しい世界に興味津々といった模様だ。私はしばらくじゃらしを振り回していたのだが、ふと見ると夫がちょっと毛が長い子を抱きあげているのに気づいた。

「かわいい」

と夫は言った。この頃には私たちは二人とも、今日猫を引き取るんだなと思っていた。夫は遠慮がちに

「この子だと思う」

と抱っこしている毛長ちゃんを見た。夫がそういうならきっとこの子がうちの子なのだろう。早速スタッフに

「この子です」

というと、手続きがあっという間に始まった。毛長ちゃんの今の名前はサブリナというらしい。日本だと保護猫を引き取る際に家族構成から年収まで聞かれるというがそれはなかった。引き取る前に避妊手術を受ける必要があるのでこれから一週間くらいかかるということだ。まだ2ヶ月弱の子が手術なんて受けられるのかしらと心配になったが、大丈夫だそうだ。手続きは順調に終わり、必要なものリストをもらい、引き取り日を決めた。猫カフェから出る時には毛長ちゃんが走ってお見送りに来てくれ胸キュンで死にそうになり、一週間後にはこの子がうちに来るのか…!と思いながらその日は帰った。

我が家についに子猫がやってくるまでの一週間に、もらったリストにあったものを買い揃えた。餌、猫砂、餌の器、トイレ二つ、キャリー、毛布、首輪、そしておもちゃとキャットタワー。結構さっくり準備できた。餌と猫砂のような消耗品は値段もお安く、飼いやすいのにびっくりである。

一週間がじりじりと過ぎ、新年とともについに子猫がやってくる日が来た。当日はうっすら雪が舞う寒い日だった。車で猫カフェに迎えに行く。道中、電話がかかってきて出ると

「サブリナは今結膜炎気味で目薬をさしているのですが、自分たちでできますか?もちろんやり方は教えるし、難しいならあと一週間くらい治るまで引き取り延長しても大丈夫だよ」

ということだった。子猫に目薬とは最初から高難度である。でももう車には乗っている訳だし、とりあえずやり方を教えてもらってから決めようということにし、まずは現地に向かった。

猫カフェには相変わらずたくさんの子猫たちと、それを愛でる人々がいた。毛長ちゃんは現在お昼寝中だそうで、赤いニット帽で寝ているところをスタッフさんが連れてきてくれた。周囲の人々から「そのかわいい子猫を引き取るの?うらやま…」という羨望の眼差しを感じる。ははは。羨ましいだろう。君たちも猫を引き取りたまえ。ちなみに毛長ちゃんと同時に来た子猫たちは4匹全員来た瞬間引き取り先が決まり、その前に見た兄弟猫も引き取り先はあの後すぐに決まったらしい。良きことだ。

小さなニット帽の中で眠る子猫

眠い子猫を起こし、スタッフさんが目薬のさし方を教えてくれる。超絶不器用な私はともかく、毎日細かい実験をやっている夫には難しくなさそうだったので連れて帰ることにした。兄弟間で結膜炎を移しあってしまっているので、1匹になれば治るのもはやいだろうとのことだった。用意してきたキャリーに入ってくれるかも心配だったが、ねむねむの子猫をキャリーに入れるのは全く難しくなかった。

子猫引き取り代は150ドルである。ここにはこれまで受けたワクチンや避妊手術、マイクロチップの代金も含まれており、破格というか、安すぎやしないか。

さて、子猫の名前を決める段である。引き取ると決まった時から検索したり考えたりして、これまでいくつか案が出ていた。まず、日本で黒い猫の名前で一番人気なのは、ジジらしい。さすがはスタジオジブリ。《魔女の宅急便》は好きな映画だが、一番人気だと被りそうなのでやめておくことにする。アメリカだとルナが人気らしい。なるほどね。賢い。みんな、賢いよ!いろいろ考えた末に、夏にグランドキャニオンに旅行したときに借りた黒い4WDの車種がコンパスだったことを思い出した。実にいい車で、オフロードもガンガン走ってくれて「こんぱん」とあだ名をつけて数日間可愛がっていた。コンパス、なかなかいい名前ではないか。我々の人生のコンパスにもなってくれるかもしれないし。というわけで、子猫の名前は「コンパス」に決まった。

車の方のコンパス。

コンパスは車中ニャーニャー鳴いていたので心配だったが、家に帰ってきてキャリーを開けるとすぐに外に出てきて部屋を冒険し始めた。アメリカでは子猫もあまりケージに入れないみたいなので、うちも買わなかった。代わりに部屋を一室しめきりにして、最初のうちはそこに慣れさせるようにした。

さて、ここまでがコンパスが我が家にやってくるまでの経緯である。半年たち、コンパスは今やすっかり家族の一員である。今も私がキーボードを打つのを邪魔しようとしている。家に来た時は860グラムだったのに、今では4.2キロにまで成長した。約5倍の見事な成長だ。そして私も信じられないくらい猫バカになった。コンパスがいない生活が考えられない。今振り返っても、人生で一番有意義な150ドルの使い方だったと確信できる。猫と生きるという人生を選べて良かった。これからもコンパスが健康に楽しく生きてくれたらいいなあと願いつつ、餌を補充してくることにする。

4.2キロになったコンパス氏