3歳からピアノを始めたけれど、別に特異な才能があるわけでもない自分がそれをなんでここまで続けてきたかというと、一つには先生方に恵まれたからだと思う。師弟関係で悩むことも多い音楽の世界の中、良い師を持てたという意味では私はとてもラッキーだった。また、人格形成期にあった子供から20代の間に「こうなりたい」と憧れられる人たちがいたことは、音楽だけでなく、人としてもただただ幸運だった。
いつまでも学びたい学生気分でいたが、今30代になり、いつの間にか教える側の年齢になってしまった。どういう先生になりたいかと考えると、やはり自分がこれまでついた先生方のことが浮かぶ。これまでその人たちからどんなことを学んだのかを考え、自分が教える側として指針にしたいことをまとめてみた。
①基礎が全て。ここにはテクニックは勿論、楽譜の読み方、時代別の音楽的な考え方の基礎も含む。
スケールやアルペジオが美しく弾ければ、どんなレパートリーにも活かせる。だがバーナムから始まり、ハノン、チェルニーと続いていくエチュードにはうんざりした人も多いはず。私もその一人だったのでよく気持ちがわかる。「曲が弾ければその中でテクニックも練習できる!」と思ったりして上級者などだとそれが通じる人もいるのだが、しかし、お子様や初心者の皆様は特に、騙されたと思って毎日少しずつ基礎練習をしてほしい。そのさきが全然違う。また弾けない時は遠慮なく先生に頼ってほしい。反復練習、リズム練習、メトロノーム練習とか、暗譜練習、鍵盤をみないで弾く、歌いながら弾くとか、ピアニストは色々な秘伝練習法を隠し持っている(こういう練習法の元を辿っていくと冗談抜きで、ショパンやリスト、ブラームスなど、歴史的な音楽家にたどり着く。何百年もかけて連綿と受け継がれている技術だ)。私は自分が不器用で、死ぬほど基礎練習をしないと今も弾けないので、難所のトレーニングメニュー(?)を組むのは結構好きだ。
また「基礎」というとフィジカルなことが思い浮かぶかもしれないが、私は「基礎」という言葉の中に、音符が正しく読めるか、リズムが正確に取れるか、基本的な楽語や表示記号を理解しているか、ということも含めている。さらに言えば、作曲家の名前を知ることから始まり、バッハを弾く時にはポリフォニーという概念がある、とか、ショパンを弾く時にはルバートを使う、といった作曲家ごとの演奏法や、「フーガ」というものがある、「ソナタ形式」を知る、といった初級の音楽理論も「基礎」の中に含めて考えている。こうなると基礎といっても幅広いのだが、総合的にクラシック音楽の「かたち」を理解していくことこそが音楽を長く愛し、続けていく礎となるのだということを強く信じている。
というわけで何をおいても「基礎」。これが一番大切です。
②生徒の演奏の個性と特長を見抜いてそれを伸ばす。
NYに大学四年生で行った時、衝撃的な体験をしたことがあって、それは自分が弾いている曲と全く同じ曲を同門の人が弾いた時に、全然違う演奏だったことだった。テンポも音楽の作り方も、根底から何もかも違った。大抵そういう時、その人ばかりがよく見えて「ああ私は下手だなあ」と落ち込むことが多いのだが、その時は不思議なことにそう思わず「あ、こういう解釈もあるんだ」と自分のことも相手のことも肯定できた。それはその先生が、私の演奏も、その人の演奏も認めてくれて、どちらも否定せずにそれぞれのいいところを伸ばしてくれたからだと思う。そしてそれが生徒にも分かるように指導してくれた。その経験をした時、いつか自分が教える時は、そういう先生になりたいと思った。先生は楽々やっているように見えたけど、それをやるためにはどれほど莫大な経験値と知識、人間に対する深い洞察力と愛情が必要か。生徒とそのバックグラウンドへの共感、理解がなかったらできないことだ。その先生はいつも
「子供はみんな違う解釈をする。自由で、縛られない。だから私は子供を教えるのが好きなの」
とおっしゃっていた。その言葉はずっと自分の中にあって、指導する時心に刻んでいる。これは①のような具体的な指導方法とは違うけれど、自分の指針で、多分一生目標です。
③背中を見せられる人でいる。自分での演奏活動をきちんと続ける。
演奏活動を長く続けられるというのは大変なことだ、ということをつくづく感じる。練習をきちんと続けられる時間と精神力、健康な身体、周囲の協力、そういうものをちゃんとメンテナンスし続けてやっと演奏は続けられる。先生たちはこれをみんなずっとやってたのか、すごいなあと改めて思う。学生だった頃、先生の演奏が聴けることはとてもありがたいことだった。それに演奏を続けていくというのは、自分自身のアイデンティティを保ち続けていうことでもあるから、色々なことがあっても言い訳せずにコツコツ努力したいなと思っている。

